「普通である勇気」〜特別である必要はない〜by「嫌われる勇気」第12項【アドラー】

  こんにちは、いーちゃんと申します。

今回も「嫌われる勇気」の解説をしていきます。

  今回の内容は、まず人は特別でありたいと思う本能があります(優越性の追求)。


  でも、特別であること=いい事に繋がらずシンドイ時があります。

なので、「普通である勇気」を持つべきであること。これについて話していこうと思います。 

今回の内容
  1. 「特別に良くあること」を失敗すると、人は「特別に悪くあろうとする」【アドラー】
  2. 「普通であること」=「無能であること」ではない。【普通であることを恐れない!】
  3. まとめ

・「特別に良くあること」を失敗すると、人は「特別に悪くあろうとする」【アドラー】

 先ほども少し触れましたが、人は「誰か」より特別であろうとする本能があります。

 そして、基本的にまず人は「特別によくあろう」とします。

たとえば、人より仕事や学校で良い成績をおさめる等ですね。基本的には

分かりやすい優位性を人は、取ろうとします。


 ここで成功していれば、別に構わないのですが。強く「特別に良く」あろうとして、

失敗した時が問題です。


 失敗すると人は、「特別に悪くあろう」としてしまいます。

単純な「特別」さにこだわる内は「良さ」も「悪さ」も同じ意味になります。


 そんな「簡単」に転んでしまう「特別」さにこだわる意味はさしてないと、

気付けるはずです。

・「普通であること」=「無能であること」ではない。【普通であることを恐れない!】

 さきほど話した通り、あなたは「特別である必要」はありません。

ゆえに、「普通」である勇気を持つ、必要があります。


 ですが、「普通」ということに、あまり良いイメージを持たない人がいるかもしれません。

平凡であるとか、人によっては「無能」ということかと、感じることもあるでしょう。


 しかし、ここで言う「普通」というのは、そういうものではありません。

他の誰かに「自分の評価を委ねない」ということです。


 いつでも、分かりやすい「特別」さを判断するのは「他人」です。

でも、「評価」など人により、「良くも悪くも」変わります。それに左右されるより

自分の評価」を自分でする、つまり、「何者でもない」あなた自身を認めることです。


 「普通」なあなたを受け入れ、「特別」であることを捨てましょう。

誰かの評価に縛られ続けるのは、シンドイですから。

まとめ
  • 分かりやすい「特別な悪さと、良さ」は同じでしかない。ゆえに「特別」にこだわらなくて良い。
  • 「普通」であることは、「誰かに評価を求めない」こと。あなた自身で、「自分」を評価しよう!

 以上です。

 遅くはなりましたが、そろそろ「嫌われる勇気」のまとめた記事も書きたいと思います。

それでは…また。

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